バレエ音楽研究ノート

音楽家の立場からバレエ音楽を考察してまいります。【稲垣宏樹】指揮者・作曲家/日本指揮者協会会員/2015年度愛知県芸術文化選奨文化賞受賞【個人】/第58・62回文化庁芸術祭優秀賞受賞【団体】/第25・27回名古屋市民芸術祭芸術祭賞受賞【団体】

バレエと指揮者の役割 ― ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー インタビュー記事③(最終回)

ロジェストヴェンスキーによる「バレエと指揮者の役割」。前回記事 

hiroki2415ballet3132conductor52.hatenablog.jp

に続き。今回で投稿いたしますものが、残りの全文となります。

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 ―お得意のチャイコフスキーのバレエについて、とくに上演の現代的意義について……

ロジェストヴェンスキー チャイコフスキーは名作バレエ『白鳥の湖』の原曲を1876年に完成しました。これは、1877年2月20日、モスクワのボリショイ劇場で、ユ・レイジンゲルの振付で初演されたのですが、うまくいかず、まもなくして、レパートリーから外されてしまいました。1895年、ベ・ベギチェフとベ・ゲリツェルの台本、エリ・イワノフ、エム・プティパ共同振付で上演され、成功しました。ですから、ふつう『白鳥の湖』の初演は1895年におこなわれたということになっています。その後、この基本線にそいながら、ロシア・ソビエトおよびひろく諸外国で上演されています。ただし、改訂が加えられて上演されてきました。

 近年、わが国では、チャイコフスキーの原曲の精神にのっとって、チャイコフスキーが意図したもの、つまり、チャイコフスキーのオリジナルに復帰しようとする傾向がみられます。わたしも、これに賛成です。

―バレエのレパートリーは、どのようにして決めるのですか。

ロジェストヴェンスキー 劇場の理事会が演出家や振付師たちと相談して決定するのです。

 ただし、誰でも劇場の理事会にレパートリーの選定の提案をおこなうことができます。たとえば、いいできの作品が劇場で上演されています。それを新しい構想で再演する必要がある、とわたしが考えているとします。この場合わたしは理事会に改訂上演を提案します。

 すくなくとも、現在ボリショイ劇場で上演されている『白鳥の湖』は、わたしの提案で改訂上演のはこびになりました。いままでボリショイ劇場で上演されている作品で、わたしが指揮をしているものはほとんどわたしの提案で上演されるようになりました。(バレエにおけるスタッフ全員の平等説といい、『白鳥の湖』上演のエピソードといい、ロジェストヴェンスキーさんが独自の主張をもつ現代の芸術家であることを示しているようだ)。

―それでは、バレエの上演に到る手順をお話しください。

ロジェストヴェンスキー まず演出家・振付師が指揮者といっしょにスコアを研究します。そのあと、演出家・振付師は演出の構想、舞踊のスタイルを仕上げます。それから演出家・振付師は踊りの演出プランの絵コンテをつくりあげます。美術家、といっしょに、演出のリハーサルをおこないます。ピアノ伴奏によるリハーサルがおこなわれます。これは面倒で大変に労力のいるプロセスです。指揮者はそれと併行して、オーケストラとの練習を行い、一方、上演リハーサルにも通って、音楽と踊りのテンポに狂いがないようにつとめます。

 その後、踊り手たちとオーケストラがいっしょになって、共同のリハーサルを行うのです。バレエ、、オペラのような総合芸術では、アンサンブルをつくりだすことが一番です。アンサンブルはリハーサルを通じて、上演のデリケートなニュアンス、正確なアンサンブルが生み出されるのです。

バレエ、オペラのリハーサルは、大変に時間がかかります。四幕、五幕もある多幕物の大作バレエによると、毎日リハーサルを行なって、半年もかかります。こうして、いよいよ、初演の幕あきを迎えます。

―上演の直前は、どんな準備をしますか。

ロジェストヴェンスキー 夜7時にバレエ『白鳥の湖』の公演がおこなわれるとします。すると、わたしは、朝から精神を統一して、その音楽の核心に迫ろうとつとめます。つまり、朝の10時、わたしは、もう『白鳥の湖』の世界に住んでいるのです。そして、夕方の7時までその状態を持続させようとつとめます。

いよいよ上演。わたしは、それまでにたくわえ、準備してきたものにもとづいて、創造するのです。これは再現のプロセスです。

閉幕してから、バレエのことを忘れようとします。忘れるのは、なかなかむずかしいことです。休息することが大切なのです。こうして、また新しい気分で新しい創造の仕事に向うのです。(長い辛い仕事を終ったように、大きく息を吸った)

―指揮をおとりになるとき、踊り手たちとどのようにコミュニケーションをとるのですか。指揮をしているときのお気持ちは?

ロジェストヴェンスキー 上演のとき、踊り手たち、オーケストラ員たちはみんな、指揮者の指示にしたがいます。ちょうど、野球、ホッケー選手たちがコーチのサインにしたがって動くのと同じです。指揮者はそれぞれ秘密のサインをもっています。上演中に踊り手たちにわたしがどのようなサインを送っているのでしょうか?これは職業上の秘密ですから言えません。指揮者はそれぞれ独自のサインをもっているのです。バレエの指揮をしている時の気持ですか?もちろん、どういう作品の指揮をとるかによっていろいろと違った気分になります。だいたいにおいて、いい気分で指揮をとります。とくに、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の指揮をとるときは、満足感にみたされるのです。わたしの大好きな作品ですから、バレエの場合、曲のイメージは舞台に表現されています。筋も、状況も具体的に舞台に表現されています。すばらしい美、抒情がみちみちています。

―バレエはもう古い芸術だという人がいます。バレエは、今後どうなるのでしょうか?

ロジェストヴェンスキー バレエそしてとくにクラシック・バレエは、決して亡びることはないでしょう。というのは、すでに時間によって試験ずみです。十八世紀から、二十世紀後半の現代まで、バレエ芸術の技法、用語などは、原則的に何の変化もなく伝えられてきています。現在、新作バレエが次々と創作されているにもかかわらず、クラシック・バレエも盛んに上演されています。クラシック・バレエは亡びることはないでしょう。

 だが、一方、新しい探求も積極的にすすめられています。人間の肉体の表現力、運動能力の開発という問題は、人間の内面世界の解明と関連していますし、人間の精神、魂、心理を発達させることと結びついています。また、現代の生活のテンポ、技術革新、進歩が芸術に反映しないはずはありません。これは、当然のことです。ですから、この方向に向って、新しい実験が続行されていくでしょう。バレエ芸術は、すばらしい未来を約束されている、と確信をもっていうことができます。(完)

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【補足1】チャイコフスキー:『白鳥の湖』について、ロジェストヴェンスキーが「近年、わが国では、チャイコフスキーの原曲の精神にのっとって、チャイコフスキーが意図したもの、つまり、チャイコフスキーのオリジナルに復帰しようとする傾向がみられます。」と語っているのは、1953年のブルメイステル版のことです。

 ブルメイステルは、プティパが作曲家のドリゴの協力で付け加えた音楽をを排除し、第3幕の《黒い鳥のパ・ド・ドゥ》として流用した No.5 を第1幕に戻しました。しかし、そうしてしまうと第3幕の《黒い鳥のパ・ド・ドゥ》の音楽が無くなってしまいます。丁度その時期、モスクワ近郊クリンのチャイコフスキー博物館で、チャイコフスキーの遺品の中から1つの《パ・ド・ドゥ》のためのレペティトゥアや一部のパート譜がブルメイステルや博物館員によって発見され、それがチャイコフスキーが書いたと言われる、所謂《ソベシチャンスカヤのパ・ド・ドゥ》そのものであると断定され、ソビエト国立音楽出版社チャイコフスキー作品全集の編集責任者であった作曲家:ヴィッサシオン・シェバリーン(1902 - 1963。大序曲《1812年終結部の改竄で名を知る方も多いことでしょう)がオーケストレーションを行い、ブルメイステル版の《黒い鳥のパ・ド・ドゥ》として挿入されたのです。

 シェバリーン編曲によるスコアは1957年のチャイコフスキー作品全集版『白鳥の湖』の巻末付録として組み入れられましたが、この編曲についての私の所見は機会を改めて投稿いたします。

 

【補足2】このインタビューを読み返して、改めて驚かされるのがソビエト時代の非常に長い制作期間です。オーケストラのリハーサルに関して言えば、私が指揮をする公演では正味4時間のリハーサルが1回だけです。

 また、「上演のとき、踊り手たち、オーケストラ員たちはみんな、指揮者の指示にしたがいます。ちょうど、野球、ホッケー選手たちがコーチのサインにしたがって動くのと同じです。指揮者はそれぞれ秘密のサインをもっています。上演中に踊り手たちにわたしがどのようなサインを送っているのでしょうか?これは職業上の秘密ですから言えません。指揮者はそれぞれ独自のサインをもっているのです。」という件について、私の見解は別の機会に投稿させていただきます。