ミンクスのバレエ音楽を『整形手術』する? ~ 《パキータ・グラン・パ》のオーケストレーション ① ― No.1 Entrée
現在、《パキータ・グラン・パ》のオーケストレーションをしています。
【第1曲目 Entrée スコア 1ページ目】
冒頭、原曲オーケストレーションはユニゾンですが、私のオーケストレーションでは和音を付け加えて補強しています。
第1曲目のスコアをオーディオファイル化いたしましたのでスコアの続きは耳でご確認いただければと思いますが、原曲をご存知でいらっしゃいましたら音楽の長さは原曲と同一ながらも全体を通じてオーケストレーションの様相が全く異なっていることにお気づきのことと思います。
●ミンクス:《パキータ・グラン・パ》No.1 Entrée (Allegro, 3/4)
オーケストレーション:稲 垣 宏 樹
編成:3[1.2.pic] 2[1.2/EH] 2 2―4 3 3 1―timp+4―hp, pf/cel―str
チャイコフスキー、グラズノフ、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーのバレエ音楽はコンサートのレパートリーとしても演奏できる素晴らしい音楽とされている一方、アダンやミンクスのバレエ音楽はそれらに比して音楽的な評価は低く、コンサートのレパートリーとして演奏される機会はまずありません。
私はバレエのピットで指揮をするようになった時から、アダンやミンクスのバレエ音楽を、和声の修正とオーケストレーション(管弦楽法)の全面的な改訂によって音楽によって語られるドラマが分かり易く観客の皆様に伝わり、心に響く音楽作品としたいという願いを持っていました。
私と同様の原曲に対する問題意識から和声の修正やオーケストレーションを改訂する試みは、既にロバート・アーヴィング、ジョン・ランチベリー、ジョゼフ・ホロヴィッツ等々の諸氏によってなされていますが、私はそれらの業績に敬意を抱きつつ、「最初からそのように書かれていた」かのように音楽が鳴り響き、多くの方々に自然に違和感なく受け入れていただけるよう願いながら改訂に臨みました。
こうして私は、全幕物ではアダン:《ジゼル》、ミンクス:《ドン・キホーテ》(2種)、《バヤデール》のオーケストレーションを書き上げ(巻末【付録】にこれら録音のリンクを貼りました。ご参考になれば幸いです)、この度、新たに《パキータ・グラン・パ》のオーケストレーションを手掛けることになり、現在スコアを書いているところです。
■ミンクスのバレエ音楽、フルスコアは市販されていません!
この項のタイトルにある通り、ミンクスのバレエ音楽、実はフルスコアで市販されているものは一つも無いことをご存知でしたでしょうか?私がオーケストレーションをしました《ドン・キホーテ》も《バヤデール》もフルスコアは市販されておらず、ピアノスコアからオーケストレーションをしました。
《ドン・キホーテ》に至っては公演の練習音源の中にはピアノスコアにも入っていない音楽がありました。仕方が無く私はその音楽を聴音をしてからオーケストレーションを(やりたい放題(◎_◎;) いたしました。
この事情をインタビューで少しお話ししたことがあります。
【名古屋市文化振興事業団機関紙『なごや文化情報』No.378】
https://www.bunka758.or.jp/id/bunkajyoho/bunkajyoho2018-1-2.pdf
《パキータ・グラン・パ》も《ドン・キホーテ》や《バヤデール》と同様にピアノスコアを基にしてオーケストレーションをしています。
■《パキータ》の楽譜はどのようなものがあるのか?
《パキータ》の場合、オーケストラのフルスコアに関するデータの中で、出典の判っているいるものに限れば以下の通りとなります。
《パキータ》
①【原曲オーケストレーション】
出版社:Lars Payne
編成:3[1.2.pic] 2 2 2―4 2 3 1―timp+2―2hp, cel―str
②【ジョン・ランチベリー編曲版】
出版社:Edition Mario Bois (T. Presser)
編成:3[1.2.pic] 2 2 2―4 3 3 1―timp+2―hp―str
③【ダニエル・スターン編曲版】
出版社:Edition Mario Bois (T. Presser)
編成:2 2 2 2―2 2 2 1―timp+1―str
④【ウィリアム・マクデルモット編曲版】
出版社:Edwin F Kalmus―Act II, also Pas de deux
編成: 2[1.2/pic] 2 2 2―4 2 3 0―timp+2―hp―str
⑤【ジョナサン・マクフィー編曲版】
出版社:Boosey & Hawkes
編成:2[1.2/pic] 2 2 2―4 2 3 1―timp+2―hp―str
これらのうち、④ の(ミスプリントや雑な印刷で悪評高かった) Kalmus だけは市販されていて、私も所有していますが、Kalmus は2019年10月に「印刷業務を停止する。」というアナウンスをいたしました(吃驚しました)。
従って、この投稿をしました2020年2月29日現在では全てのフルスコアは市販されておらず、レンタル譜でしか入手出来ないことになります。
■ピアノスコアは市販されています。
《パキータ》のピアノスコアは以下のところより入手可能です。
①
②
③
■音で聴く、様々な《パキータ・グラン・パ》
~ No.1 Entrée のオーケストレーション
①【原曲オーケストレーション】(マリインスキー劇場)
これを基準とお考え下さい。
②【稲垣宏樹編曲版】
原曲オーケストレーションのスコアを私は持っていませんので、ピアノスコアから編曲をいたしました。但し、楽曲の長さこそ原曲と同一ですが、和声(バス、和音設定、和声外音)の変更を加えています。編成にピアノを組み込んでいることも特徴です(私の編曲では《ドン・キホーテ》《バヤデール》共にピアノが編成に組み込まれています)。
編成:3[1.2.pic] 2[1.2/EH] 2 2―4 3 3 1―timp+4―hp, pf/cel―str
③【Peter March 編曲版】リチャード・ボニング(指揮)ロンドン交響楽団
原曲がニ短調で始まるのに対して属調同主調のイ長調から始まり主調のニ長調に進行しますが、この開始、実はKalmus のスコア(ウィリアム・マクデルモット編曲版)と同一です。この録音は全曲に亘ってマクデルモット編曲版に似ていますが、この録音に聴く編曲の方がしっかりと書かれています。
④【ジョン・ランチベリー編曲版】アメリカン・バレエ・シアター
実は2003年に初めて《パキータ・グラン・パ》を指揮しました際、主催者様に「是非ともランチベリー版で!」とお願いし、手配していただきました。音で聴く限り、このスコアのオーケストレーションが最善であると判断したからでしたが、楽譜をお借りして驚いたのが音の間違いだらけのスコアとパート譜でした。Pas de trois Variation III (アダン:《悪魔と4人》からの引用)の和音設定とオーケストレーションの酷さにも閉口しました。「出版社は商品として有期で貸し出す以上、せめて音の間違いの全く無い楽譜を提供すべきだ!」と怒っていたことを覚えています。
【2003年 野間バレエ団公演記録】
http://ballet.tosei-showa-music.ac.jp/home/event_detail/1457
⑤【Myron Ramanul 編曲版】バイエルン国立バレエ団
原曲がニ長調(主調)→イ長調(属調)と進行するのに対して、ハ長調(主調)→ト長調(属調)としていることに大きな違和感を覚えますが、このようにしたのは如何なる理由なのでしょうか?
⑥【編曲版(編曲者不明)】新国立劇場バレエ(2003年)※途中から
原曲オーケストレーションではなく編曲されていますが、編曲者は不明です。編曲は③の影響を受けているように思われます。新国立劇場バレエが2020年《パキータ・グラン・パ》を上演なさった際、これと同じ楽譜を使用したのでしょうか?
⑦【編曲版(編曲者不明)】ワガノワ・バレエ・アカデミー卒業公演(2017年)(マリインスキー劇場)
編曲者は不明。⑤Myron Ramanul 編曲版と同じく、長2度下げられ、ハ長調(主調)→ト長調(属調)となっている他、オーケストレーションも酷似している。
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【付録】
●アダン【オーケストレーション:稲垣宏樹】:《ジゼル》全幕
本番録音(スコア=625ページ/3562小節)
●ミンクス【オーケストレーション:稲垣宏樹】:《ドン・キホーテ》全幕
リハーサル録音(スコア=637ページ/4548小節)
●ミンクス【オーケストレーション:稲垣宏樹】:《バヤデール》全幕
MIDI(スコア=730ページ/4235小節)