ストラヴィンスキー:《火の鳥》1910年版 の 3管編成版。但し、楽譜に手を入れなければ使えませんが…(Hans Blümer Reduced version)
- ストラヴィンスキー:《火の鳥》1910年版 の 3管編成版
ストラヴィンスキー:《火の鳥》1910年版 の 3管編成版
ストラヴィンスキー:《火の鳥》1910年版は 3台の Harp を含む巨大な 4管編成の作品であることはご存知のことと思いますが、「裏メニュー」のように 3管編成の楽譜も存在することはあまり知られていないのかも知れません。今回は《火の鳥》1910年版の「裏メニュー」である 3管編成版をご紹介いたします。
・《火の鳥》3管編成版の録音音源と演奏について
6月17日はイーゴリ・ストラヴィンスキーの誕生日でありました。加えて2020年はストラヴィンスキーの出世作となった《火の鳥》が初演されてから110年経った記念の年でもあります。
これに合わせて Hans Blümer 編曲による3管編成版の《火の鳥》(1910年版)の(恐らく)世界唯一となる録音をご紹介しようと思い立ちました。
●ストラヴィンスキー:《火の鳥》(1910版) Hans Blümer 編曲版(3管編成)
指揮:稲垣宏樹
演奏:愛知シンフォニエッタ
2001年11月17日 愛知県芸術劇場大ホール(ライブ録音)
ピットに入りました際のライブ録音ですから、客席の咳払いや舞台のポワントの音、終演後の拍手等々が生々しい音として記録されています。
43:01~ 1st hr. が gestopft で上の倍音を演奏してしまった、という突発的な事故も編集することなく収録しています。録音を聴きながら思い出しましたが、リハーサルでは完璧で一度もこのようなことが無く、本番での突発的な事故に演奏の現場は凍り付き、わずか数小節の出来事がとても長い時間に感ぜられました。本番終了後、その演奏者は楽屋にいらっしゃり、謝罪されました。絶対音感の是非云々が様々なところで言われております。音楽的な相対音感が最も重要なのは言うまでもありませんが、加えてこのような場面こそ音楽家は絶対音感を持っている必要があるのではないか…と色々と考えさせられた事故でありました。
録音は(恐らく)このマテリアルによる唯一のものとなり、文献的にも貴重なものなのではないかと思われます。
愛知シンフォニエッタは1999年、現代音楽を紹介することを目的として私が若く優秀な音楽家の皆さんにお声がけをして集まってくださったオーケストラです。下記動画にあるような同時代の音楽を始め、W.ゲール編曲版によるムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》の日本初演やシュレーカー:室内交響曲のような20世紀のマスターピースも紹介いたしました。
・ストラヴィンスキー自身のオーケストレーションによる4つの《火の鳥》
さて、本題の3管編成版によるストラヴィンスキー:《火の鳥》(1910年版)ですが、Wikipedia の情報には全曲の1910年版、組曲の1911年版(4管編成)・1919年版(2管編成)・1945年版(2管編成)の他、様々な編曲版の記述はありますが、問題の3管編成版については何も書かれておりません。
1910年版
1919年版
1945年版
・3管編成による《火の鳥》1910年版の楽譜の正体
2001年の公演で私が採用した3管編成による1910年版の楽譜は、ドイツ SCHOTT 社から Hire Material(レンタル譜)として扱われている Hans Blümer による3管編成縮小版です。
SCHOTT 社の HP で Hire Material を検索いたしますと、このように Hans Blümer 編曲版の詳細が出てまいります。
名古屋音楽大学研究紀要第21号へ投稿いたしました『演奏会等報告』を読み返しますと、1990年代に私はこの楽譜の存在を把握していたものの、2001年の公演のために日本 SCHOTT に連絡をしたところ、当の出版社はこの楽譜のことを全く把握しておらず、SCHOTT と「楽譜がある・ない」の電話と FAX のやり取りだけで一ヶ月もかかったと書いておりました。
この公演の演奏が Hans Blümer による3管編成版の日本初演となり、レンタル料金に「初演加算」が加えられていたことも覚えております。
・《火の鳥》1910年版の編成(Original Version / Reduced version)
ストラヴィンスキー:火の鳥(1910年版)の編成を、ストラヴィンスキーによる4管編成版と Hans Blümer による3管編成版と比較してみますと、以下のようになります。
●Original version
4[1.2.3/pic.pic] 4[1.2.3.Eh] 4[1.2.3/bcl.bcl] 4[1.2.3/cbn.cbn]―4 3 3 1ーtimp+4ー3hp, pf, celーstr+bachtage Banda : 3tp, 4Wag tb
●Reduced version by Hans Blümer
3[1.2/pic.3/pic] 3[1.2.Eh] 3[1.2/PicCl.bcl] 3[1.2/cbn.3/cbn]ー4 3 3 1ーtimp+3ーhp, pf, celーstr[min:8 8 6 5 4]
※SCHOTT のカタログに記載されている Hans Blümer 3管編成縮小版の編成は以下の通りとなり、私が採用した上記編成と異なります。理由については後述いたします。
3(2. und 3. auch Picc.) · 3 · 3 (2. auch Es-Klar., 3. auch Bassklar.) · 3 (3. auch Kfg.) - 4 · 3 · 3 · 1 - P. S. (Glsp. · Xyl. · Trgl. · 2 Beck. · Tamt. · Tamb. · kl. Tr. · gr. Tr.) (3 Spieler) - Hfe. · Cel. · Klav. - Str. (16 · 16 · 14 · 8 · 6)
・何故《火の鳥》Hans Blümer 3管編成編曲版は演奏されないのか?
《ペトルーシュカ》には4管編成による1911年版、3管編成による1947年版が存在します。
1911年版
1947年版
Petrouchka: Burlesque in Four Scenes, Revised 1947 Edition (Boosey & Hawkes Masterworks Library)
- 作者:Stravinsky, Igor
- 発売日: 1997/10/17
- メディア: ペーパーバック
予算上の都合から1947年版の《ペトルーシュカ》の楽譜が採用されることが多いのはご承知の通りです。同様の理由で《火の鳥》 Hans Blümer 3管編成縮小版も多く採用されても良さそうものですが、そうはならない理由を想像するに、第一にはストラヴィンスキー自身のオーケストレーションによる 2管編成の組曲1945年版が、完全な全曲をカヴァーしてはいないながらも存在すること(同じく2管編成の組曲1919年版より収録曲数が多い)、そして Hans Blümer 編曲版がオーケストレーションの数々の問題を抱えているのが第二の理由であると考えています。
・《火の鳥》1910年版 Hans Blümer 編曲版の 4つの問題点。
名古屋音楽大学研究紀要第21号に Hans Blümer 編曲版の問題を 4点に要約し、それに対する具体的な対処の方法について以下のように報告しておりました。
①木管楽器群:
木管楽器群の修正箇所は余りにも多いが、最大の問題はストラヴィンスキー原曲の編成にある 4fl.[1.2.3/pic.4/pic] と 4bn.[1.2.3/dbn.4/dbn] が、Hans Blümer 編曲版では 3fl.[1.2.3/pic] と 3bn.[1.2.3/dbn] に縮小されていることである。その結果として 2人の pic. と 2人の dbn. を持つストラヴィンスキー原曲を、1人の pic. と 1人の dbn しか持たない Hans Blümer 編曲版では原曲の編成によってもたらされる和声形態(密集→解離)・音域を変えられてしまっている。この問題は全曲にわたり随所に見受けられる。筆者は Hans Blümer 編曲版の 3fl.[1.2.3pic.] を3fl.[1.2/pic.3/pic.] 、3bn.[1.2.3/dbn] を 3bn.[1.2/dbn/.3dbn.] として問題個所を原曲と同様となるように書き改め、それに伴う新たな不都合な箇所も修正を行った。この問題が生ずる箇所をストラヴィンスキー自身の手による2管編成による1919年版と1945年版の組曲では、楽曲自体を省略したり、音型を書き改めることによって回避している。
②金管楽器群+Tubular Bells:
最大の問題は Banda (3tp. 4Wag tb. tubular bells) をどのようにピット内の金管楽器群に分担させるかであろう。筆者が行った具体的な対処の方法は以下の通りである。
3 trumpets:
・練習番号80~90番:ピット内の 2nd tp. に分担。
・練習番号98番:ピット内 3rd tp. に分担。
・練習番号182番:Banda の 3人の tp. による3和音=組曲1919年版・1945年版に準じてピット内の 2ob. 2nd hr.(gestopft) に分担。
※尚、練習番号181番3小節目:原曲にあるピット内の3人のtp.のフレーズが Hans Blümer 編曲版では欠落しており、原曲に戻す。2管編成の組曲にも入る tp. によるフレーズを削除した理由は、練習番号182番の Banda による 3tp. による密集和音を演奏させるためであろうが、con sord. とするには余りにも時間が短く、演奏者へのリスクが高くなることに加え、ストラヴィンスキー自身のオーケストレーションによる2管編成の組曲1919年版・1945年版での成功例がありながら、何故このオーケストレーションを採用しなかったのか理解に苦しむ。
4 Wagner tubas:
・練習番号105~108番:ピット内の 1st & 2nd trb. に分担。
Tubular Bells:
・練習番号98番:ピット内の打楽器奏者が担当。
③3台のハープ:
Hans Blümer 編曲版では原曲の 2nd, 3rd のパートを含めて 1台のハープで演奏されるように書かれ、不可能な箇所はピアノとチェレスタに分担させて書かれてあるが、ハープのペダル操作で演奏不可能なところがあり、随所をピアノに割り振った(この改訂は更に再検討を要す)。
④その他:
弦楽器群を最少の人数(8 8 6 5 4)としたことから、大編成の弦楽器群による量感に代わるものとして、「カスチェイの部下全員の凶悪な踊り」「カスチェイの宮殿とその魔力が消え失せる。石にされた騎士たちの復活。全員の感謝」では組曲1919年版・1945年版を参考に btrb. tb. timp. perc. harp. cel. のパートに改訂を加えた。
このように楽譜に手を加えた Hans Blümer 編曲版の《火の鳥》の本番の録音が冒頭にご紹介しましたものです。
・録音にある公演の成果
録音にあります公演の批評は『ダンスマガジン』と『隔月間 Ballet』に掲載されましたものの、音楽についての記述は演奏者の紹介に留まり、批評文からはこの楽譜によって演奏された音楽がどのように聴こえたのかを窺い知ることは残念ながらできませんでしたが、『音楽の友』『音楽現代』等々での厳しい批評で知られる作曲家(故)辻井英世先生(相愛大学名誉教授。大阪市音楽団創設者:辻井市太郎氏の長男)をご招待いたしましたところ、「アンタ、面白い楽譜使うんやて?1910年版がバレエのピットで鳴ったの、聴いたことあらへんから、行くわ。」と、幸いにして御覧(お聴き)いただけました。終演後、楽屋にお越しください、「ホンマ、エエ仕事しはったなぁ。よう頑張りました。耳の上では4管編成の原曲を3管編成にしたことでのデメリットはあらへんかったで。」と、初めて専門家より楽譜と演奏に関わるご感想をお聞きすることができました。
・2021年はストラヴィンスキー没後50年
指揮科の学生時代、秋山和慶(指揮)トロント交響楽団による 1910年版の録音は私の愛聴盤でした。
当時、私はオケナカ(オーケストラの中の鍵盤奏者)で組曲1945年版のピアノとチェレスタのパートを弾きながら、「何時かは自分も1910年全曲版を!それもバレエのピットで!」と願ってはいましたが、同時に「自分が指揮する日は来るのだろうか…」とぼんやりと思っていました。
願いが実現したのは最初に録音で紹介いたしました2001年の公演。既にバレエピアニストの仕事を経てピットで指揮をするようにはなっていましたものの、あっさりと思いがけないような形で突然に願いが実現してしまったことに大変驚きました。SCHOTT ですら把握していなかった Hans Blümer 編曲版の存在を、私はずっと前から知っていた訳ですから、仕事の依頼の電話があった時、「これは運命なのか?」と思ったものです。
ストラヴィンスキー没後30年の節目となる記念すべき年に《火の鳥》1910年版、しかも私しか知らなかった Hans Blümer 編曲版を図らずも日本初演をすることとなり、スコアを研究することで誰も知らないこの楽譜の詳細を知り得たのですから、私は本当に運が良かったのだと思っています。
この楽譜は翌年、Bohuslav Martinů Philharmonic Orchestra との演奏会で使用いたしました。
2021年はストラヴィンスキー没後50年の記念すべき年。2001年の時と同じように思いがけない形で再びこの楽譜がピットで鳴り響くことがあっさりと思いがけないような形で突然に実現してしまう…
今日は天赦日にして一粒万倍日。こうして言霊にすれば叶うかな?