ミンクスについての私の談話が載っていますー【平野恵美子:帝室劇場とバレエ・リュス~マリウス・プティパからミハイル・フォーキンへ(未知谷)】
舞踊・美術・音楽を中心とする芸術文化研究をご専門とする平野恵美子先生が執筆された素晴らしい本が出版されました。装丁の美しい本です。
「謹呈」とありますのは、音楽に関わる記述で私の談話が掲載されているからですが、それはまた後ほど…。
私はしばしば本の概要を知るために、巻末の人物索引と資料の出典から見ることがありますが、そこに書かれていた諸データに私は吸い着けられてしまいました。
その諸データとは19世紀末~20世紀初頭にかけての帝室劇場(マリインスキー劇場、ボリショイ劇場)のオペラとバレエのレパートリーと上演回数でした。
此処で内容をお知らせするのはルールに反することになりますので詳細は本書を御覧いただければと思いますが、当時のロマノフ王朝時代のロシアの劇場の様子を端的に示す大変貴重なデータに、私は「えっ?そうだったの?」と思わず驚きの声をあげてしまったほどでした。
本書に書かれてありますのは、19世紀末~20世紀初頭にかけてのロシア帝室劇場とバレエ・リュスの活動実態の詳細な報告です。
バレエ・リュスについてはストラヴィンスキーの三大バレエを筆頭とする重要な作品の数々を生み出していたことから、多くの書籍が出ておりました。本書にもバレエ・リュスの活動についての詳細な記述があります(この書籍の元となったのは平野恵美子先生が東京大学大学院に提出した博士論文「バレエ『火の鳥』の起源:20世紀初頭ロシア文化と帝室劇場」)が、大きな特徴はこれまでに日本語の書籍であまり書かれたことのないロシア帝室劇場についての記述に多くの比重が置かれていることでしょう。そうした意味でも本書は大変貴重な存在です。
本書には帝室劇場に於けるバレエ音楽の近代化の道筋についても当然のことながら触れられています。その中でバレエ音楽の作曲家:レオン・ミンクスの今日的な評価として小生の談話が引用されています。
引用されました談話は、2019年4月に第5回バレエ史研究会に於いて、「バレエ指揮者の仕事、ならびにバレエ音楽のオーケストレーションの諸問題」と題された講演でお話しいたしました時、会場にいらっしゃいました平野恵美子先生からの「チャイコフスキーやグラズノフのバレエ曲は、それ以前のバレエ作曲家の曲と比べて、やはりレベルが高い、複雑、難しいと、演奏していて思われますかます?」というご質問に対して私が返答をいたしました一部です。
ミンクスに対しては生前から厳しい評価がなされていました。一時は帝室劇場の「公認バレエ作曲家」として終身的地位が保証されていたかに見えたミンクスでしたが、1881年に帝室マリインスキー劇場総裁に就任したイワン・フセヴォロシスキーがバレエにロシア後期ロマン派のアカデミックな作曲家たちの音楽を持ち込むという大改革に着手したのと同時に、"バレエの御用作曲家"であったミンクスは解雇されたという事実がそれを物語っています。
フセヴォロシスキーはチャイコフスキー(革新的だった『白鳥の湖』の1877年のモスクワ・ボリショイ劇場に於いての初演は失敗に終わりました)を再びバレエの世界に呼び込み、誕生したのが『眠りの森の美女』です。
実際、ミンクスの『ドン・キホーテ』(1869年)を聴いてから、チャイコフスキーの『眠りの森の美女』(1890年)を聴くと、ほぼ同規模の管弦楽編成で書かれた作品でありながらも、その音楽的密度の差に驚かされることでしょう。
本書で引用されました私の談話にもありました通り、私はロシアのアカデミー派の作曲家たちを心服しております一方、ミンクスに対しては(かなり)批判的な立場を取っていますが、批判をするからには、それにとって代わる対案を示さなくては単なる卑怯者に成り下がってしまいます。
私はミンクスの『ドン・キホーテ』『バヤデール』『パキータ・グラン・パ』の3つのバレエ音楽をピアノスコアを基にオーケストレーションをしています。旋律線は(ほぼ)そのままに、和音設定を変更し、R.コルサコフの管弦楽法とチャイコフスキー、グラズノフ等々の管弦楽作品をモデルとしてオーケストレーションをいたしましたが、これが私のミンクスへの批判に対する答えとなります。
下記リンクにあります 2種の『ドン・キホーテ』(演奏楽曲=ほぼ同一)をお聴き比べられましたご感想をお寄せくださいますと嬉しく思います。
ミンクス:ドン・キホーテ(マリインスキー劇場:ミンクス作曲部分はほぼ原曲通り)
ミンクス:ドン・キホーテ(オーケストレーション:稲垣宏樹)
赤尾雄人先生と長野由紀先生による跋(ばつ:本文の終わりに書き添える文)は、本書を読み進める上での重要な情報が含まれています。最初に目次・著者あとがきと併せて読む事で本書の概要が把握でき、本文をスムーズに読み進めることができましょう。
本書は研究者の方々にとりましては必携の書となることでしょうし、バレエの愛好家の方々にとりましてもロシア・バレエ黄金期をより深く知る上での良書となることでしょう。